300年間、世代を超えて紡がれてきた営み。その価値を地域の誇りに
芥屋かぶの保存活動に取り組む、東 紀子さん(糸島市志摩芥屋在住)
もともと神奈川の葉山に住んでいたんですが、20年以上前に、糸島に移住してきました。
芥屋のサンセットロード沿いにある「幣の浜(にぎのはま)」という海岸線を見たとき、あまりの美しさに感激して、この地域で残りの人生を生きていきたいって決めたんですよ。
住み始めて少したったころ、公民館に出入りしていたら、ある本と出会いました。
「ふるさと彩時記」(小金丸輝著)という本で、糸島地域の歴史や風物、人物などを取り上げた新聞連載をまとめた本で。そこに「芥屋かぶ」が紹介されていたんです。
芥屋の土地でないとできないという幻のかぶで、漬物にすると絶品という内容も興味深かったですし、何より、その漬物というのが、乙女の頬を思い出させるような鮮やかな天然ピンク色というようなくだりがあって、「見てみたい!」と心つかまれました。
私は草木染めをやっているので、色の印象がすごく強かったんですね。
ちょうどその頃、近所の人が「私たち、こういう漬物作ってるのよ。食べてみて」と持ってきてくださったのが、まさに芥屋かぶの酢漬けで。感激しましたよ。不思議なご縁だなって。
秋に収穫した後、少し天日干しして、芥屋のきれいな海水でもんで酢漬けにすると、きれいな桜色になることも近所の人から教わりました。ちょっとピリッとして、とても美味しい漬物です。
当時は、畑の一角に芥屋かぶを植えて、自宅用の漬物にしたり、少し販売している人もいらっしゃったのですが、作っている人がいるっていうのは、当たり前じゃないんだって後々私も気づいていきました。
年々、体調を崩して畑をやめていく方も1人、2人とあったので、「ああ、あのとき、漬物の作り方、栽培の仕方をちゃんと教わっておいてよかった!」と思ったわけです。
地域の伝統を生活の中で紡いでいくことって、家族同士の関係が近くないとできないし、実はすごいことなんだって、芥屋かぶを通してあらためて感じています。
今、芥屋かぶを栽培しているのは、芥屋でも数軒です。糸島の人でも、芥屋かぶのことを知らない方が多いでしょうね。
調べてみると、江戸時代の1734年、8代将軍・徳川吉宗公のお達しで日本全国の産物調査が行われた際、黒田藩からは「志摩村の芥屋かぶ」が報告されています。
福岡を代表する郷土野菜として評価されていたってことですから、すごいと思いませんか?その時点から数えても、もう286年経っているわけです。
赤紫色のこぶし大のかぶで、ちょっとひげが多いのが特徴ですが、ほんとに歴史の重みがあるんです。
「その土地で100年以上作られていないものは、伝統野菜って呼べないんですよ」と、京都の料亭の方から聞いたことがあります。宣伝で「伝統野菜」とうたっているものの中にも、実際は100年そこで作られてないものもあるんだーと。
ですが、芥屋かぶは、芥屋の土地で、普通の農家の方々が、家族の食卓を彩る漬物として食するために、300年近くも作り続けているんですね。
作り続けるということは、タネを毎年取るということ。いいタネを取るためには、色や形、姿が良いかぶを残しておいて、別の畝に植え替えるという作業が必要です。
伝統野菜は、人がそうやって遺伝子を残すことで守り続けてきたものなんです。
芥屋かぶは、それを各家庭が10世代にも渡って脈々と続けてきたと思い巡らせたとき、もっとこの価値を認めて、地域の誇りにしてもいいんじゃないかって情熱が湧いてきたんです。
私は関東から芥屋に移り住んだ立場ですが、この価値を多くの人に知ってもらって、芥屋を盛り上げられたら…と思い、芥屋かぶの保存活動に取り組む団体「くり愛グループ」を立ち上げて、イベントや講演会を企画したりしました。
2011年には、「T−1グランプリ」という全国漬物コンクールに出品して、3位に当たる野菜ソムリエ賞を受賞しました。この美味しさが証明されたこともうれしかったですね。
今、地域の作り手が少なくなった中、なんとかタネを残したいと思って、地元の引津小学校、そして糸島農業高校の生徒さんたちと一緒に、栽培やタネの収穫、漬物体験やレシピの開発など幅広く取り組んでいます。
地元の農水産物を熱心に研究されている「やますえ」の馬場孝志社長が、芥屋かぶの価値を評価して、商品として流通させたいと取り組んでくださることは、とてもありがたいことです。
地域の伝統というものは、そこに暮らす人の営みが続くことで生み出されたもの。
それこそが価値だと思うので、いろいろな人たちが地域に出入りする時代の中でも、価値を認め合う人たちとつながって、柔軟な形でこの伝統野菜を残していきたいですね。
徳川将軍に芥屋かぶが報告されてから、あと14年で300年!ぜひ、盛大に祝いたいですね。
(取材:2020年9月)